お客様の声

Voice 1

木の家と、ともに暮らしていく。

山梨県北杜市、標高1200mの静かな森の中に建つ木の家がある。生活が根付き、住まい手の暮らしに寄り添うこの家に住むのは、シンガーソングライターの佐藤里花さん。佐藤さんが願っているのは、この場所でずっと続いていく家。その想いと、家づくりのプロセスを聞いてみました。
 

ふと手にしたパンフレットを見て、ここだと思った。

 
── 家を建てようと思ったきっかけは何かあったのですか?
佐藤里花(以下、佐藤) わたしは横浜に両親と住んでいたのですが、その家が高速道路が通るので壊されることになって。そこで住む場所を両親と共にいろいろ探していたんです。
 
── 風の森建築舍のことはどうやって知ったのですか?
佐藤 両親の実家が長野にあって、当時住んでいた横浜からよく北杜市にも立ち寄っていました。たまたまたよく行くカフェに立ち寄った時に、風の森さんのパンフレットをたまたま見つけて、家を建てるならここだと直感的に思いました。
 
まだその頃は木の家のことなど何も知らなかったのに、そこに書いてあった木を使った家や伝統工法のことなど風の森さんだからこそできる家づくりの説明を見て、直感的に「家を建てるならここだ」と思ったんです。そして、すぐに連絡してお付き合いが始まりました。
 

 
── まずは何から始めたのですか?
佐藤 土地を探すところからです。まだ場所も決まっていなかったので、土地勘のあまりない私たちと一緒になって探してくれました。わたしが見つけて気に入ったこの場所は鬱蒼とした森でした。家を建てるのにはあまり適していない土地だったのですが、そこはどうにか皆さんのおかげでクリアできました。
 
 

自分たちで考えて、家がつくられていく

 

 

 
佐藤 そのあと間取りなどを考えていくのですが、なにもわからなかったのでいろいろ雑誌を見たり、両親とも話したりして決めていきました。わりと最初に考えたものから、出来上がった間取りは変わっていません。
 
風の森さんは、あまりそこに「これがいい、あれがダメ」ということは言わず、ただ細かいアドバイスをして頂いて、わたしたちの生活を第一に考えてくれたと今になって思います。森を切り開いた時、もともとこの場所にあったクリの木を家の中に使ってくれたことはとても嬉しかったです。
 

 
── 家を建て始めて印象に残っていることはありますか?
佐藤 現場にいる大工さんがとても大きな声で笑いながら仕事をしていたんです。わたしはそれが何よりも嬉しかったんです。建てる人が喜んで、気持ちよくつくってくれた家は、その想いも家に篭ると思うんです。特に木という素材はいろいろなものを吸収してくれると思うので。
 
── 家が完成して、住み始めてからの生活はいかがですか?
佐藤 今はわたしが一人で住んでいるのですが、とても今の自分の生活に寄り添ってくれる家だなと思っています。暮らしの道具も手作りのものが好きなので、この木の家にあることがとても自然です。森がすぐそこにあり、家の中も木に包まれているようなので、心身ともにリラックスできています。
 

 
── 風の森さんとはその後はどういったお付き合いがあるのですか?
建てて終わりではなく、むしろ建ててからのほうが密な関係性が続いているかもしれません。木の家なので、生きている家に住んでいるような感覚で、そのメンテナンスやわからないことがあったらすぐ連絡していろいろ聞いています。
 
── 家が生きているって思えることはすごいことですね。
ほんとうに、木が呼吸しているようなんです。家に住んでいるというよりも、「家と住んでいる」ような。冬はペチカで暖をとります。火の世話をして、じんわりと家が暖かくなる感じは、人のぬくもりに似ているかもしれません。
 

 

ずっと、繋いでいく家。

 
―― 家を建ててみて、何が一番変わりましたか?
佐藤 家を建てるまでは家族との会話も多くはありませんでした。ただ、家を建てるということは、話し合わないと始まらない。両親は、この家を建てるという行為の中で、わたしが何をやりたいか、どんな家を建てたいかを理解していったと思うんです。それはわたしがどういう人間でどうやってこれから生きていくかに他なりません。そのことを自分も含め、家族で共有できるようになったことは、とても大きなことです。
 

 
風の森さんは、わたしたちの小さな願いも丁寧にくみ取ってくださいました。けっこうわがまま言ったり、泣き言も言ったりしたんです(笑)。でもその都度、できることを的確に教えてくださいました。だからこんな素晴らしい、愛おしい家が出来たんだと思います。この家はもう、私たち家族だけのものではないとさえ思っています。
 
── それはどういうことですか?
佐藤 もし万が一ですが、この先わたしや家族がこの家にいることができなくなっても、ずっとここにあってほしい、続いていってほしい家だと思っています。自然の素材でできているので、自然の一部として繋がっていく家。子どもなのか、または別の人なのか、誰が住んだとしてもちゃんとここで生きて、続いていってほしい家です。
 
── 最後に今から家を建てる人に一言お願いします。
佐藤 家を選ぶときの基準に、ごくごくふつうに木の家や自然素材、伝統工法などでも選択肢として選ばれるようになるとよいなと願っています。自然の素材は変化していきますが、その変化を許容できるようになると生活が楽しくなると思うんです。知ることって本当に大事。同じく伝えることも大事。たまたまカフェで手にしたパンフレットから始まったご縁ですが、良さを知ってしまった以上、わたしもこうやって伝えるお手伝いが今後もできると嬉しいです。
 

 
この家を建てたあと、里花さんのご両親の家を鎌倉に新たに建てることになり、その際に、プランの作成や構造材の刻み、上棟・屋根工事までを風の森建築に依頼したそうです。風の森建築の手仕事へのこだわりと、お客様に長く愛される家づくりが実現しています。
(ライター:土屋誠)
 


Voice 2

小さな家で、にぎやかな独り暮らし

原村の風の森建築から車で数分。森を背にした道路沿いに、小ぢんまりとした平屋が建っています。2016年春にできたこの家は、フリーアナウンサーの小林節子さんのお住まい。両親を看取ったあとに、70歳(古希)で建てた家です。独り暮らし=寂しいなんてとんでもない。人が大好きという小林さんを慕う人が、ひっきりなしに訪ねる家になりました。
 

歳を重ねた仲間たちのモデルハウスにしたい

 
素敵な家でしょう。みんな長居をしていくんですよ。この家、道路からよく見えるんです。車が置いてあると家にいると思われて、知っている人がどんどん入ってくるんです。人を呼びこむ家になりそうですね。 
 
風の森建築さんには、小さな家を建てたいとお願いしました。独り暮らしですから、身の丈に合った大きさで。それでも人が呼べる家にしたかったんです。8年前に父を、2年前に母を送り、独りになったことが、古希で家を建てるきっかけでした。両親を看取る前は家をつくろうなんて考えていませんでした。いつも計画性がなくてこんな調子。友人からは、「小林節子の出たとこ人生」なんて笑われます。
  
年齢的にも、今が建て時かと思いました。家を建てること以上に、これまでの生活でたまったモノを処分するのが大変。75歳になると、たぶん体力的に厳しいでしょう。所有していたモノはほとんど捨てて引っ越しました。
 
この家は、これからの生き方のモデルハウスにしたいと思っています。同世代の友人たちも同じように歳を重ねて、これからの住まいについて考えざるを得なくなりつつあります。高齢化していく時代に、一つの可能性を示すことができればと思いました。暮らし始めて半年。すでに手ごたえを感じています。友人たちは、「私も一人になったらこんな暮らしがしたい」とか「ここなら二人で住めるわね」とか、興味津々の様子で見ています。
  

ペンション住まいから人が集まる家に

 
この家に住む前は、15年間ペンションで暮らしていました。住宅や別荘ではなくペンションを選んだのは、人が大好きで人集めがしたかったから。それに、フリーのアナウンサーは不安定な職業ですから、仕事が切れた時に何か商いができればいいなとも考えていました。ペンションとして営業はしなかったけれど、隣に小さなホールをつくりました。こけら落としは永六輔さんトークライブ。その後もコンサートやトークイベントなどを企画しました。普段は村の人が集会所のように使ってくれたり、一日だけのカフェをしたり。面白くて面白くて仕方のない15年間でした。
 
ペンションを手放すことには、心残りはありませんでした。これまでの蓄積があるから、新しい家もペンション時代とは違う形で人が集まると思うんです。
原村を離れるという選択肢も考えました。でも、この土地が私には合っているみたい。移住してしばらくの間、平日は東京で毎日生放送の仕事をしていました。週末に原村と東京を行ったり来たり、年老いた両親を車に乗せて中央高速を夜中に突っ走る生活が続きました。それで参るかと思ったら、逆に元気になりました。原村でパワーチャージしていたんですね。
 

信頼してお任せできた家づくり

 
風の森建築さんとの出会いは、社長のリュウさん夫妻と知り合いになって、村のことをレクチャーいただいたことがきっかけでした。初めて会った時から、同じにおいを感じたというか、この人なら大丈夫だと思ったんです。夫妻が実践している地域通貨にも入れていただき、リュウさんの建築や考え方、生き方に共感して、家を建てる時にはお願いしたいと思っていました。
 
実は、建てている間に一度も現場を見に来たことがないんです。なんだか、自分の家ができるのが恥ずかしくて。風の森建築さんを信頼しているから、全財産を費やした家づくりをすべてお任せできました。
 
風の森建築さんにお伝えした要望は、人が集まれる小さな家ということの他には、暖かい家であること、それから安心して家を空けられること。前の家は、冬場に長期間留守にする時には水抜きをしっかりしないと水道管が凍結して故障する心配があったんです。ようやく解放されたので、旅行にも出られるようになりました。
 
この家は、とても陽当たりがいいんです。東の八ヶ岳から昇った太陽が、ずーっと南を通って沈むところまで、家の中にいながら見られるんですよ。冬は部屋の奥まで陽が入ります。太陽の動きを追いかけているような家だから、昼間はストーブが要らないくらい暖かいですね。
 

家と思いが共鳴して始まる何かにワクワク

 
よく、衣食住の中で何を優先するかという話をしますでしょう。私にとって「住」は優先順位の最後で、寝る場所さえあればいいと思っていました。部屋数がたくさんあるペンションで暮らしていた時も、自分の部屋はベッドと三面鏡を置いた一部屋だけ。友人たちと居間で楽しめればいいと思っていました。
そんな私が家を建てられるなんて、夢にも思っていませんでした。でも、考えてみたら、最後に自分の世界をつくるとしたら、やっぱり「住」を通してなのかもしれません。私にとっては、人と関わりを持ってこその住まいなんです。
 
この土地は借地です。もともと森だったところを切り開いた土地を貸していただいています。最初から借地を探していましたね。子どもがいないから、土地や建物を残す必要がないんです。将来私がどこかに移るようなことになったら、地主さんにこの建物を自由に使っていただくように言っています。土地や家は他所に持って行けるものではないですから、何もこだわりはありません。この世はすべて仮住まい。何かを残す必要がないというのは、とても楽ですね。
これからは、ここで月に一回のカフェをしようと思っているんです。飲食店の許可は取っていないから、みんなで持ち寄り制にして。多くの人にこの家を見てもらいたいんです。それから、東北大震災の支援として始めた野菜の販売も再開する予定。家という器と私の思いが共鳴して、いろいろなことが形になっていく過程を楽しみたいんですね。
 
人がたくさん集まって、そこからまた何か生まれる。家って生き物のようで、それが面白いなあって思っています。
 

ペレットストーブを入れた時も、大勢の人が見に来てくれましたね。「かわいいデザイン」「この家にぴったり」なんて言ってくれて。
ペレットストーブは、ギリギリになって入れました。当初の計画は薪ストーブ。
でも、「薪を割ったり運んだりするのがこれから大変になるだろうから、ペレットストーブにしたら」って、リュウさんが言ってくれて急きょ変更。すでに薪ストーブ用の煙突がついていたから、それに合うペレットストーブを選びました。通常のペレットストーブは燃料を自動的にくべるために電気を使うんですが、このストーブは電気なしでできます。薪も燃やせるんです。クラフトマンという釜石のメーカーだから、社長は「釜石のエジソン」て呼ばれているそうですよ。
 


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